コラム・春 協同のとりで  ~JAは「誰も置き去りにしない」~

西日本新聞(3月2日付)は、移住の町として有名な大分県豊後高田市の取り組みを紹介しています。
施策の転機となったのは、市が2002年度に「学びの21世紀塾」を開塾したこと。完全学校週5日制が始まることを契機に、子どもたちの土曜日の居場所づくりと、地方でも都市部以上の充実した学習機会と活動の場の提供をめざしたもので、市民には好評です。
その後、保育園保育料・幼稚園授業料、中学校までの給食費、高校生までの医療費、妊産婦の医療費、市営火葬場使用料の無料化。あるいは、一人親世帯の再婚応援金や不育・不妊治療費助成など、生活に寄り添った細やかな支援制度に取り組みます。
移住促進策も、宅地の無償提供や空き家リフォーム補助金40万円、孫ターン奨励金と称し、祖父母が住む同市への新規転入者への10万円給付など、バラエティに富んでいます。
記事の最後には、「暮らしやすさを実現するための施策が、移住先進地に結実しつつある」としたうえで、これは「自治体にとって、実は原点でもあるのだろう」と、記されています。

地方移住を支援するNPO法人「ふるさと回帰支援センター」が3月5日に発表した、2020年の都道府県別の移住希望地ランキングで、長野県は3位でした。4年連続の首位ではなかったものの、人気の移住希望県であることは間違いありません。
ただそれは、多分に「地の利」を得てのものであることを忘れるべきではありません。
「地の利」を得ていない、都会から遠く離れた地方都市が、限られた財政の中で取り組む「生活に寄り添った細やかな支援制度」はJAグループにとっても示唆に富んでいます。それは、その地域に、今住んでいる人々の生活をより良きものにすることでもあるからです。 移住者支援に目を奪われ、現居住者の生活向上策が疎かにされるならば、まさに本末転倒。魅力的な地域とは、今そこで生活している人々皆が、明るく生き生きと豊かな日常を送っている所です。
農業協同組合は、営農と生活に寄り添った事業と活動を、多年にわたって総合的・多面的・重層的に展開し、地域に根を張り、地域に無くてはならない存在となっています。もちろんこれからも。
SDGsの基本理念になぞらえれば、県内14JAをはじめとするJAグループには、その管内を「誰も置き去りにしない世界」にする、不断の努力が求められています。

さて、今回からこのコーナーに「協同のとりで」というタイトルをつけることになりました。「とりで(砦)」とは、「本城から離れて設けられた小さな城」のことです。
本県JAグループの前進と発展をめざし、「とりで」ならではのメッセージを発信します。

(研究所長 小松泰信)


コラム・冬 希望のありか

「『バカな大将、敵より怖い』という言葉があるそうだ。無能な上官の下で戦えば不合理な指揮で命を失いかねない、ある意味では敵そのものより恐ろしい、という意味である」で始まるのは、「ウイルスより怖いのは」というタイトルで書かれた西日本新聞(2020年12月13日付)の人気コラム『永田健の時代ななめ読み』です。書き手の永田健氏は同紙特別論説委員。

およそ3万人の日本兵を死亡させた、旧日本軍の「インパール作戦(1944年3~7月)」を典型例にあげたうえで、「日本は今、コロナ感染拡大の第3波に襲われている。第1波、第2波まではある種の天災との受け止めもされたが、第3波になるともう政治の責任だと言えるのではないか」として、「ダメな政治家」こそ「ウイルスより怖い」ことを警告しています。

そして、「現在の日本では指揮官がダメだと思えば選挙で取り換えることもできる。今のリーダーが指揮を任せるに足る人物かどうか、見極める時期に来ている」と、結んでいます。

ダメな政治家といえば、小林吉弥氏(政治評論家)が日本農業新聞(2020年12月13日付)の「連載永田町ズバリ核心」で、「今年の国会論議の低調ぶりは、コロナ禍の影響はあったにせよ、目を覆うものがあった」と、嘆いています。

まずは、安倍晋三前首相の虚偽答弁に触れたうえで、「答弁を控える」を連発する菅義偉首相の姿勢を「説明責任にはまるで頬かむりの体で臨時国会を逃げ切ってしまった」と、指弾します。

野党に対しても、「しかし、こうした国会論議の低調は、野党の責任も極めて大きい。菅首相の『守り』に攻め手を欠くなど、こちらも国民の失望感を高めた」と、容赦していません。 

最後は、「政権交代などは夢のまた夢、2021年も『自民の横暴』『万年野党の悲哀』のバタバタ芝居が避けられそうもないようである」と、結論づけています。

以前、野党の前参院議員が、「森友、加計、桜。ゲームならとっくに勝負はついています。でも国会は裁判所じゃないんです。裁判官がいないんです。これ以上攻めろと言われても…」と、悲しげな表情で語ってくれました。

「農ある世界」に目を転じると、何事にも代えがたき役割を担っているにもかかわらず、日に日に輝きを失い、縮んでいくようです。しかし、自らを見失い、バタバタ芝居に付き合う必要はありません。

「農ある世界」に関わる人や組織は、食料の生産・供給と多面的機能の創出を通じて、現在、そして未来のこの国に暮らす人々と連帯することができるのです。

持続可能な地域、農業、JAづくりに堂々と誠実に取り組む。その先に、希望は待っています。

(研究所長 小松泰信))


コラム・秋 新刊「青果物流通論」

桂瑛一信州大学名誉教授・大阪府立大学名誉教授が、5月に農林統計出版㈱から「青果物流通論―食と農を支える流通の理論と戦略―」をご出版されました。

桂名誉教授は、青果物の流通・マーケティングを深く詳しく研究されており、JA長野開発機構では長年にわたりご指導を賜っています。

本書では、日本特有の鮮度のよい多様な青果物を求める食文化、その供給を支える多段階流通とJAの役割、農産物直売所の意義と展開方向などについて、理論的に踏み込み体系づけ解説されています。

近年、私たちは「顔の見える流通」という言葉をの意味をあまり深く考えず安易に使いがちです。生産者の情報をJAが、消費者のニーズを卸売業者など流通業者が集約することで、お互いの情報を収集し、多段階流通の取引活動を重ねることこそが「顔の見える流通」のための仕組みであると指摘されています。

本書全般にわたり、JAの役割についてご示唆をいただいています。特にJAグループで農産物販売や生産振興を担当されている皆様に、ぜひ一読をお勧めします。

(常務理事 鮎沢甲一郎)


コラム・秋 地方創生は我が事

コロナ自粛が解け始めた7月以降、複数県で行われたJAグループの中核人材育成研修に出かけました。ガッカリしたのは、受講生のほとんどが日本農業新聞をJAグループの新聞とは認識せず、農業専門の一般商業紙と思っていたことです。

JAの全国組織「全国新聞情報農業協同組合連合会」(JA新聞連)によって発行されていたものが、公益法人に対する規制強化の影響を受け、2002年に受け皿として設立された“株式会社日本農業新聞”に事業譲渡されました。しかし、あくまでもJAグループの機関紙です。

JA運動先進県の長野県ゆえ、そのような認識の役職員はいないはず、と思いたいところですが、悪い予想ほどよく当たる御時世。本県でも決して他人事ではないと思っています。

そんな受講生たちには、せめて毎日、同紙の見出しだけでもフォローせよ、と厳しく指導します。その上で紹介しているのが、毎日曜日掲載の『島田洋七の笑ってなんぼじゃ!』です。一世を風靡した漫才コンビB&Bのシ・マ・ダ……、と言っても反応なし。ならば、がばいばぁちゃんの……で少しだけ反応あり。「とにかく、良いこと書いてんねん」と、その場を切り抜ける情況には疲れます。

佐賀市在住の洋七師匠。9月13日付では、「安倍政権の看板政策の一つやった『地方創生』については、ちょっと疑問が残る」と、率直な感想を述べています。

「この7年間で、俺らの地元の景気回復を実感したことはない。『景気がええて、それどこの話や?』てな感じよ。佐賀だけ違(ちご)て、他の地方の人もそうやないんかな?」と、疑問を呈したうえで、「結局、安倍さんの地方創生は、東京一極集中を加速させただけのような気がするよ」と、核心を突いています。いかがでしょうか。

そして、「地方いうても、地域によって特色も事情も違うし、そこらへんを見極めて、じっくり時間をかけてやるべきや。何よりも、上から言われたからやるんやなくて、地元が主体となって頑張らなあかんことやと思う」と、素朴な言葉で基本中の基本を語っています。

「上から言われたからやるんやなくて」のところが大切です。

なにせ、大臣の引き継ぎに際して後任に、「47回って相当ほら吹いてきましたから。後の始末をよろしくお願いします」と、不見識な発言をする低レベルの人が地方創生担当相だったわけですから。

JAグループは、アホ大臣や忖度官僚に、あーせい、こーせい、ソウセイと言われるまえに、我が事として地域の創生に取り組むべきです。

そのためにも、「農ある世界」に関する数少ない新聞には目を通して、関連情報を入手しなきゃ。

(研究所長 小松泰信)


コラム・夏 『吉里吉里人(きりきりじん)』の教え

~ しっかりつかむ しっかりつかむ まことの知恵を しっかりつかむ ~
~ 困ったときは 手を出して ~
~ ともだちの手を しっかりつかむ 手と手をつないで しっかり生きる ~

これは、岩手県釜石市立釜石小学校の校歌「いきいき生きる」の3番の歌詞です。心にしみる詞を綴られたのは、2010年4月に亡くなられた井上ひさし氏(小説家・劇作家)です。
この校歌が冒頭を飾るのが、今年出版された『井上ひさし発掘エッセイ・セレクション 社会とことば』(以下『社会とことば』と略す。岩波書店)。
コロナ自粛中に、氏の代表作である『吉里吉里人 上・中・下』(新潮文庫)を読みました。

「これだけ、ふんだんに言葉遊びを野放図に展開しながら、これだけ生真面目な法律論、国家論、単一民族日本という迷信批判――ひいては標準語とか正しい日本語とかいう愚かな文学圧殺的思考批判を一方において主張しえた作品は、戦後日本に、この作品以外に見当らないのも事実である」とは、由良君美氏による解説の一節。それへの不満は、生真面目な農業論への評価が抜けていることです。

『社会とことば』のあとがきによれば、氏の母、マスさんは、氏が5歳の時に亡くなった農民運動家の父、修吉さんの思想をたえず息子に伝え続けたそうです。 『社会とことば』に編まれている「『吉里吉里人』についての前宣伝」(『社会科学の方法』第75号、1975年9月、御茶の水書房)には、「この国の農政指導者たち(農林省とその御用学者ども)が、これまでどんな姑息な政策をたてたか。 そしてその政策が破綻したとき、連中のだれが責任をとったか。それを思うたび、東北農民の子どもであるわたしのハラワタは煮えくり返る――じつをいえば、吉里吉里村独立の原因も、国の、トンマな農業政策にある――のだ」と書かれています。農業への思いは熱い。

また、「最後にひとつつけ加えておくと、志を同じくするものによってあっちこっちで独立があいつぎ、あらゆるものの単位が小さくなることが、いまもっとも大切なことだろうという気がする(むろん、実際には独立は不可能としても、そういう視点を持つことは、大切だ)。 たとえば、そこでは『直接民主主義』の勉強と実践ができるだろう」とも、記されています。

農業県であり、吉里吉里村と似たような情況の自治体が多数存在する長野県において、井上氏が、抱腹絶倒のギャグや奇想天外のストーリーに込めた国家像、地域像、そして農業への思いは、ポストコロナ社会における本県のありようを展望する上で、極めて示唆に富んでいます。

(研究所長 小松泰信)


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